緑川ってそうだったんだ!?川がない場所に架かる「羽衣小橋」が気になって調べてみた
橋って、河川の上に架かっているものじゃないですか、キホン。
しかしささみ@いーたちは最近こんな橋を発見したんです↓
四方をガッツリとコンクリートで囲んだ橋。
しかもめちゃくちゃ短い!
いつもここを通るたびに、橋がある必要はあるのか……そもそもなんでこんなところに橋が……などなど考えていたので、今回はそのナゾを探ってみます。
まずはもっとじっくり見てみましょう。
別の角度から↓
まあ、新しくはなさそうかなといった見た目の欄干。
車一台がやっと通れるような幅の橋で、
名前は↓
はごろもこばしとあります。漢字だとたぶん羽衣小橋。
場所はココ↓
住所は、東京都立川市羽衣町1丁目12 になります。
ちょうど「緑川第一児童遊園」の北端にあって、すこし西に進むと「トヨタドライビングスクール東京」がある。
ボーボーな草をかき分けて橋の反対側を見てみると↓
昭和二十九年八月にできたっぽいことがわかります。1954年、戦後ですね。
得られた情報はこれだけ。
記事を書く前に詳しく調べてみるとココに橋があったのも納得!となりました。
まず、戦前の立川では、大雨が降ると立川飛行場に降った雨が立川駅前に流れ出る洪水問題が発生していたそう。
昭和初期の頃の立川飛行場付近はこんな感じ↓
今まで自然に浸透していた雨水。いきなり広大な飛行場を特に排水処理など考えずに作ればそりゃー洪水にもなりますよね。
立川陸軍飛行場として利用が開始されたのは1922年、1925年には排水路の建設を求める声が上がっていたらしいのですが、1947年、米軍の協力もあってやっとのことで完成。
その排水路は緑川と名付けられました。
現昭和記念公園から東に流れ、途中で向きを南に変え多摩川に合流します。
そんな緑川の上にできたのが!↓
この橋!
立川には今でも曙橋・東橋などの地名が残っていますが、こちらの橋たちも当時緑川の上に架かっていたそうです。
その後、緑川では1955年頃から暗渠化(あんきょか・地下に水路を埋設すること)が進められ、川の上には道路・駐車場・公園などが整備されたんだそう。
だからこの羽衣小橋は四方がコンクリなのね!
ちなみに緑川自体は今でもこの下に流れています。
ナゾが解けてスッキリしました。