立川はかつて飛行機の街だった!今年2022年は立川飛行場が開設100周年なのである
立川がかつて飛行機の街だったってコト、
知らない方、多いんじゃないかと思います(知ってる方も多いと思いますが)。
ヒゲ@いーたちもちょっと前まで知りませんでした。
知っていたのは米軍基地があってその前は陸軍の飛行場だった、ということくらい。
1889年に甲武鉄道(今の中央線)が開通し立川駅ができ、その後1922年3月に立川飛行場ができたことから立川は大きく発展していったそうです。
昭和初期の頃の立川飛行場付近はこんな感じ↓
現在、陸上自衛隊立川駐屯地があるあたりが立川飛行場で、その東側一体には立川飛行機。立川飛行機は現在立飛ホールディングスとなっています。
若い方は「ららぽーと立川立飛の「立飛」って一体何なの?」と何となく疑問に思ってるかもしれないです。
立川飛行場の隣で飛行機をつくってた立川飛行機。その立川飛行機の土地に建ってるから「立飛」って付いてるんですね。
そんな立川飛行場が今年2022年3月に開設100周年を迎えています。
他のメディアで取り上げられていなかったので、珍しくいーたちが歴史ネタあげちゃいます。
というわけで、ザッと立川飛行場の歴史をまとめてみました!
立川飛行場の歴史
1922年〜:立川陸軍飛行場として開設
立川陸軍飛行場として開設。立川駅北側には広い土地があって、燃料輸送や兵員輸送などに便利だったため選ばれた。
1926年〜:民間利用も始まる
「日本飛行学校」の練習場が開設されたりして民間の飛行場としても利用されるように。1928年には旧ソ連の親善機が飛来し、その後も外国機が多数飛来するなどして立川飛行場は国際空港となった。
1931年〜:陸軍専用の飛行場になる
東京飛行場(今の羽田空港)が完成し、民間航空会社が立川から羽田に移転して立川飛行場の国際空港の役目は終了。陸軍専用の飛行場となる。
1937年:朝日新聞社「神風号」が立川飛行場から離陸しロンドンまで飛行。飛行時間の世界記録を樹立した。
神風号↓(引用元:ウィキペディア)
1945年〜:アメリカ軍が接収
終戦に伴ってアメリカ軍が接収。アメリカ空軍立川基地(通称フィンカム基地)となる。
1977年:アメリカ軍から全面返還
アメリカ軍から全面返還された土地は、立川駅周辺が「ファーレ立川」として開発、飛行場跡地は「国営昭和記念公園」のほか「立川広域防災基地」となり陸上自衛隊立川駐屯地や、海上保安庁・警視庁・東京消防庁など各官公庁の施設が建てられた。東側の一帯は土地所有者の現・立飛ホールディングスに返還された。
と、こんな感じで立川は飛行機の街として発展したのでありました。
立川に昔から住んでいる方ならともかく、最近住み始めたばかりの人はなかなか立川=飛行機と結びつかないんじゃないかと思います。
グリーンスプリングスには飛行機の街だった雰囲気がほのかに。
2024年には立飛ホールディングスが創業100周年を迎えます。